みーこ~ちょっと間抜けな放浪者 [我が家のネコたちの思い出]
みーこは、先代の白が死んで、我が家が暗く沈鬱な春を迎えた頃にやって来た。
当時のわたしは小学生中学年くらいだったと思う。
「どこかで猫の鳴き声がする」
と家族が騒ぎ出したのはもう夕暮れ時。
十分以上も鳴きやまないので、みんなでそわそわと鳴き声の主を捜索しはじめた。
軒下や縁側の下に見つからないので、裏に回ってみて、発見した姿にみんなは大笑いだった。
生後数ヶ月の子猫は、塀と塀の角に向かって、にゃあにゃあと鳴き続けていた。
「左右のどっちからでも逃げられるのに」
なんて間抜けな猫だろうとみんな笑いながら、家人が近づいても逃げようともせず、抱き上げられて抵抗もしなかったみーこを家に迎えて、ミルクを飲ませてあげた。
おそらく、母猫や兄弟猫かなにかが塀の向こう側へ行ってしまって、塀に飛び乗れない子猫のみーこは置いてきぼりになってしまったのだろうと思う。すっかり困ってしまって、鳴いていたに違いなかった。それで、見慣れない人間を見てもどうして良いか分からずに抵抗もしなかったのだと今は思っているが、そのときは本当にお馬鹿な猫だなあとみんな笑い合った。
みーこは白足袋を履いたトラ猫で、お腹の部分も白かった。
当時の我が家は部屋に猫を閉じ込めておく習慣がなかったので、子猫のみーこは外で遊んで、ご飯を食べに家に帰ってきた。
母猫が迎えに来たら、そのまま連れて帰ったしまったり、昔住んでいた土地のことをみーこが思い出して出て行ってしまうかもしれなかったが、実際には母猫は来なかったらしく、みーこはいつも家に帰ってきた。
ある日、平屋建ての我が家の天井でなにやら走り回る音がしていた。
「ねずみが住み着いたみたいだな」
と家人は言った。
みーこも音のするあたりの天井をじっと見上げている。天井の足音が移動すると、みーこの視線も移動した。
猫のいる家にはねずみは来ないと言うが、当時のみーこは一歳になるかならないかくらいの猫齢で、ねずみはまだちびすけのみーこを馬鹿にして住み着いてしまったようだった。
「行っておいで」
押し入れの上にある、屋根裏の入り口にみーこを持ち上げると、家人は言った。
どたどたと、天井でみーこが走り回る音が聞こえた。
このときの軍配は、ねずみに上がったらしく、みーこは慌てて屋根裏から飛び出してきた。ねずみの逆襲にあって、逃げ出してきたのだった。
みーこは悔しさを紛らわすように、部屋の隅で毛繕いをはじめた。
「ねずみに負けちゃった!」
わたしはみーこを笑いながら抱き上げた。みーこの心臓はすごくドキドキしていた。
戦いに勝ったとはいえ、面倒くさいのは御免らしく、ねずみはしばらくのあいだは静かにしていたようだった。
その間に、みーこは子供たちとのバックドロップごっこや空き地での昆虫狩りで闘争本能を鍛えていた。
やがて再びねずみは我が物顔で屋根裏を走り回りだした。みーこのことは忘れてしまったのか、それとも「またあの猫が来たら追い返してしまうさ」と言わんばかりだった。
みーこもまたねずみの足音を目で追いかけていた。
「今度こそ負けるな」
と、わたしはみーこを屋根裏に押し込んだ。
みーことねずみがたてる物音、走ったり、飛びかかったり、唸ったり、叫んだりする音を聞きながら、わたしは音のするあたりに向かってみーこを声援していた。
やがて屋根裏は静かになり、ゆっくりとみーこが出口から降りてきた。
ねずみを咥えてはいなかったが、みーこはなんだか満足そうだった。
みーこはまだ鬚を前に緊張させながら、屋根裏の埃まみれになった体をゆっくり舐めはじめた。
「こんどは勝てたんだね」
わたしはみーこの背中を撫でながら言った。
当時のわたしは小学生中学年くらいだったと思う。
「どこかで猫の鳴き声がする」
と家族が騒ぎ出したのはもう夕暮れ時。
十分以上も鳴きやまないので、みんなでそわそわと鳴き声の主を捜索しはじめた。
軒下や縁側の下に見つからないので、裏に回ってみて、発見した姿にみんなは大笑いだった。
生後数ヶ月の子猫は、塀と塀の角に向かって、にゃあにゃあと鳴き続けていた。
「左右のどっちからでも逃げられるのに」
なんて間抜けな猫だろうとみんな笑いながら、家人が近づいても逃げようともせず、抱き上げられて抵抗もしなかったみーこを家に迎えて、ミルクを飲ませてあげた。
おそらく、母猫や兄弟猫かなにかが塀の向こう側へ行ってしまって、塀に飛び乗れない子猫のみーこは置いてきぼりになってしまったのだろうと思う。すっかり困ってしまって、鳴いていたに違いなかった。それで、見慣れない人間を見てもどうして良いか分からずに抵抗もしなかったのだと今は思っているが、そのときは本当にお馬鹿な猫だなあとみんな笑い合った。
みーこは白足袋を履いたトラ猫で、お腹の部分も白かった。
当時の我が家は部屋に猫を閉じ込めておく習慣がなかったので、子猫のみーこは外で遊んで、ご飯を食べに家に帰ってきた。
母猫が迎えに来たら、そのまま連れて帰ったしまったり、昔住んでいた土地のことをみーこが思い出して出て行ってしまうかもしれなかったが、実際には母猫は来なかったらしく、みーこはいつも家に帰ってきた。
ある日、平屋建ての我が家の天井でなにやら走り回る音がしていた。
「ねずみが住み着いたみたいだな」
と家人は言った。
みーこも音のするあたりの天井をじっと見上げている。天井の足音が移動すると、みーこの視線も移動した。
猫のいる家にはねずみは来ないと言うが、当時のみーこは一歳になるかならないかくらいの猫齢で、ねずみはまだちびすけのみーこを馬鹿にして住み着いてしまったようだった。
「行っておいで」
押し入れの上にある、屋根裏の入り口にみーこを持ち上げると、家人は言った。
どたどたと、天井でみーこが走り回る音が聞こえた。
このときの軍配は、ねずみに上がったらしく、みーこは慌てて屋根裏から飛び出してきた。ねずみの逆襲にあって、逃げ出してきたのだった。
みーこは悔しさを紛らわすように、部屋の隅で毛繕いをはじめた。
「ねずみに負けちゃった!」
わたしはみーこを笑いながら抱き上げた。みーこの心臓はすごくドキドキしていた。
戦いに勝ったとはいえ、面倒くさいのは御免らしく、ねずみはしばらくのあいだは静かにしていたようだった。
その間に、みーこは子供たちとのバックドロップごっこや空き地での昆虫狩りで闘争本能を鍛えていた。
やがて再びねずみは我が物顔で屋根裏を走り回りだした。みーこのことは忘れてしまったのか、それとも「またあの猫が来たら追い返してしまうさ」と言わんばかりだった。
みーこもまたねずみの足音を目で追いかけていた。
「今度こそ負けるな」
と、わたしはみーこを屋根裏に押し込んだ。
みーことねずみがたてる物音、走ったり、飛びかかったり、唸ったり、叫んだりする音を聞きながら、わたしは音のするあたりに向かってみーこを声援していた。
やがて屋根裏は静かになり、ゆっくりとみーこが出口から降りてきた。
ねずみを咥えてはいなかったが、みーこはなんだか満足そうだった。
みーこはまだ鬚を前に緊張させながら、屋根裏の埃まみれになった体をゆっくり舐めはじめた。
「こんどは勝てたんだね」
わたしはみーこの背中を撫でながら言った。
初めての飼い猫シロとそのお別れ [我が家のネコたちの思い出]
小学生低学年のころ、シロは我が家にやってきました。
生まれて初めての、飼い猫生活でした。
シロは日本ネコの雄で、名前の通りまっ白で、青灰色の瞳。尻尾もすらりと伸びた、とても美猫でした。
我が家に来たときは、ちょうど子猫から成猫になる途中くらいの歳だったと思います。
シロはとてもきれい好きで、短い毛並みはいつもまっ白でした。
「シロは貴族みたいだね」と家族といつも話していました。
シロは性格が優しくて、腕白な子供達におもちゃにされても滅多に怒りませんでした。
私が布団の上にシロをバックドロップして、びっくりして逃げ出しても、すぐに遊びに戻ってくれました。
シロは野性的なところもあって、狩りは大得意だったみたいです。へびやらネズミやら小鳥やらをよく咥えて帰ってきたりしてました。
こんなときはシロも興奮していて、フーフーと声を出していました。
シロの苦手なものは掃除機。大体どこの猫もそうかもしれませんが、シロも掃除機だけは天敵だったみたいです。
子供の私がシロをからかって掃除機を近づけると、シロは逃げていきます。
ガーガーと音をたてる掃除機。
部屋の隅に追い詰められると、シロはネコパンチで掃除機に反撃を加えます。
その威力のすごいこと!
子供達の執こさに怒って、ときどきシロが私にしてくるネコパンチやネコキックの何倍もの衝撃です。いま思うと、シロは子供の私たちには手加減をしてくれていたようです。
シロとのお別れは突然でした。
一日中シロの姿が見えない日がありました。
夕方になっても、シロが帰ってきません。
私たちはシロが心配になって、探しに行きました。
当時の私の家は一軒の借家で、隣りに駐車場や空き地があって、猫たちは自由に家と外を出入りしていました。
駐車場や空き地にシロはいませんでした。
シロは家と駐車場を隔てる塀の上でひなたぼっこをするのが好きで、そこに座って春の日差しを気持ちよさそうに浴びていたりしました。
塀の上にもシロはいませんでした。
どこにシロがいても見えないほどすっかり暗くなってしまったので、私たちは家に戻りました。
その翌日、学校から帰る途中のことです。空き地の隣の通学路を通っていると、U字溝の中に、ネコが横たわっていました。
たぶん、車に轢かれたのでしょう、灰色の目を見開いて、子供の私にはぞっとするほど怖い表情でした。短い毛並みはすっかり灰色に汚れていました。
「かわいそうに」
とは思いましたが、そのときの私はそれがシロであるとは少しも考えませんでした。
子供の私の知っているシロとは全然違いました。シロはまっ白で、青い目をしているはずですから。
夕飯時、帰ってこないシロを気にしながらその話を家人にすると、「シロかも知れないから見に行こう」と言い出しました。
まさかと思いながら一緒にネコの亡骸を見せに行くと、「やっぱりシロだ、かわいそうに」と言いました。
わたしには信じられませんでしたが、みんながシロだと言います。
みんながシロだと言うので、私も「もしかしたらシロなのかも知れない」と考えるようになりました。瞳は青い光を失って、きれいな白い毛はホコリにまみれて灰色になってしまった、死んでしまったシロなのかも知れない。でも、本当にそうなのかしら?
シロに似ているけれども、違うネコなんじゃないかしら?
半信半疑のうちに、みんなで花壇にお墓を作って、シロの亡骸をそこに埋めました。
それから何日か経って、やっぱりシロが戻らないので、やっと私はシロは死んでしまったのだと得心しました。
私が飼った猫たちとの、最初の別れでした。
「シロは天国に行ったんだよ」と家人は言いました。
『シロは天国の塀の上で、気持ちよくひなたぼっこをしているかしら』と子供の私は考えました。
生まれて初めての、飼い猫生活でした。
シロは日本ネコの雄で、名前の通りまっ白で、青灰色の瞳。尻尾もすらりと伸びた、とても美猫でした。
我が家に来たときは、ちょうど子猫から成猫になる途中くらいの歳だったと思います。
シロはとてもきれい好きで、短い毛並みはいつもまっ白でした。
「シロは貴族みたいだね」と家族といつも話していました。
シロは性格が優しくて、腕白な子供達におもちゃにされても滅多に怒りませんでした。
私が布団の上にシロをバックドロップして、びっくりして逃げ出しても、すぐに遊びに戻ってくれました。
シロは野性的なところもあって、狩りは大得意だったみたいです。へびやらネズミやら小鳥やらをよく咥えて帰ってきたりしてました。
こんなときはシロも興奮していて、フーフーと声を出していました。
シロの苦手なものは掃除機。大体どこの猫もそうかもしれませんが、シロも掃除機だけは天敵だったみたいです。
子供の私がシロをからかって掃除機を近づけると、シロは逃げていきます。
ガーガーと音をたてる掃除機。
部屋の隅に追い詰められると、シロはネコパンチで掃除機に反撃を加えます。
その威力のすごいこと!
子供達の執こさに怒って、ときどきシロが私にしてくるネコパンチやネコキックの何倍もの衝撃です。いま思うと、シロは子供の私たちには手加減をしてくれていたようです。
シロとのお別れは突然でした。
一日中シロの姿が見えない日がありました。
夕方になっても、シロが帰ってきません。
私たちはシロが心配になって、探しに行きました。
当時の私の家は一軒の借家で、隣りに駐車場や空き地があって、猫たちは自由に家と外を出入りしていました。
駐車場や空き地にシロはいませんでした。
シロは家と駐車場を隔てる塀の上でひなたぼっこをするのが好きで、そこに座って春の日差しを気持ちよさそうに浴びていたりしました。
塀の上にもシロはいませんでした。
どこにシロがいても見えないほどすっかり暗くなってしまったので、私たちは家に戻りました。
その翌日、学校から帰る途中のことです。空き地の隣の通学路を通っていると、U字溝の中に、ネコが横たわっていました。
たぶん、車に轢かれたのでしょう、灰色の目を見開いて、子供の私にはぞっとするほど怖い表情でした。短い毛並みはすっかり灰色に汚れていました。
「かわいそうに」
とは思いましたが、そのときの私はそれがシロであるとは少しも考えませんでした。
子供の私の知っているシロとは全然違いました。シロはまっ白で、青い目をしているはずですから。
夕飯時、帰ってこないシロを気にしながらその話を家人にすると、「シロかも知れないから見に行こう」と言い出しました。
まさかと思いながら一緒にネコの亡骸を見せに行くと、「やっぱりシロだ、かわいそうに」と言いました。
わたしには信じられませんでしたが、みんながシロだと言います。
みんながシロだと言うので、私も「もしかしたらシロなのかも知れない」と考えるようになりました。瞳は青い光を失って、きれいな白い毛はホコリにまみれて灰色になってしまった、死んでしまったシロなのかも知れない。でも、本当にそうなのかしら?
シロに似ているけれども、違うネコなんじゃないかしら?
半信半疑のうちに、みんなで花壇にお墓を作って、シロの亡骸をそこに埋めました。
それから何日か経って、やっぱりシロが戻らないので、やっと私はシロは死んでしまったのだと得心しました。
私が飼った猫たちとの、最初の別れでした。
「シロは天国に行ったんだよ」と家人は言いました。
『シロは天国の塀の上で、気持ちよくひなたぼっこをしているかしら』と子供の私は考えました。